わからないの理由

アホの子を教えるのは楽しかった、という増田の記事を読んだ。勉強のできない子が抱えている、放置されたままの些細なつまづきを取り除いてあげられる先生の話。はてブホッテントリに入っているので興味があればすぐ見つかると思います。
追記でかつて本人が九九を覚えていなかった話をしていて、それを読んで思い出した話。自分が似たようなつまづきをして、英語ができなかったこと。

ずっと学校の成績はわりと良い方だったので深刻にできない子というわけではなかったのだけど、中学に上がって始まった英語が苦手だった。90点以上がアタリマエだったはずの学校のテストで、中1の秋頃には英語は60点程度しか取れなくなっていた。
上はいなくても下はたくさんいるド田舎の公立中学校、なまじ勉強ができる分つまづいてることは外からはわかりにくく、ごまかしがきくから、先生から問題視されることはない。つまづきを解消できないまま授業のカリキュラムは進んでいって、そのつまづきの負債は次第に膨れ上がって、どんどん大きくなっていく。
増田を読んでふと自分に重ねて思い出したのはこういうところだった。当時、わたしはbe動詞がわからないまま中学2年生になろうとしていた。

親は英語の塾に通わせてくれた。ちょうど友達の家の近所に外国人の先生がやっている個人塾があったので、友達に連れられる形で通わせてもらうようになったのだと思う。
ド田舎なので、外国人の存在自体とても珍しかった。個人塾なので少し広めの自宅の一室を教室として使っていた。いいにおいがする綺麗なお家。白いモジャモジャ髭のおじさん先生は、最初、少しだけ怖かった。
そこで薄いワーク本を1冊とホワイトボードを使い、友達とたったふたりのごまかしのきかない教室で、ゆっくりと最初から勉強をやり直した。

そこから中学の終わりまで一杯、わかったふりでごまかしきれない授業を受けた。やり直しの過程でわかったのは、単語の意味は暗記できても、文法というものが理解できていなかったということ。S,V,O,C。特にOとC、その区別はずっと難しかった記憶がある。
本ばかり読む子だったのに、不思議なものだけど、たぶんあの頃は日本語の文法だって理解していなかった。文のつくりかたに理屈があることを知らなくても日本語は読めるし、物語を感じることはできた。それまで困らなかったらしい。

そういうわけで塾に通ってやり直していくうちに、文法をちゃんと理解し、授業にも追いつけるようになり、高校に入ってからは国語と英語が一番得意(ド文系!)になった。ゴミのような点数の数学と理科をひっさげつつも大学合格できたことを思うと、あのとき英語ができるようになってほんとうに良かった。

わかったふりで本質的な理解をしないまま進んでいくと後からしんどくなることを忘れずにいたいし、もし人がそうなっていたらそのつまづきに気づいてあげられると最高。教える側としても教わる側としてもいろいろ考えさせられる話。

今思えば、理屈のわからないものをそのまま飲み込むのが昔からすごく苦手だった。
まぁ結局、高校化学のmolでつまづいて赤点ギリギリの低空飛行だし、数学は微積以降なにもできなかった(ただ数学は受験にどうしても必要だったので、理屈がわからないまま仕方なく解き方の型だけ叩き込んだ記憶がある)。「理屈がわからないけどそのとおりにする」は未だに苦手だ。

この流れで思い出したのでvakモデルの話とかしたい。
またこんど